常用字解 第二版

■■ Japan On the Globe(425)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

人物探訪: 白川静 ~ 世界をリードする漢字研究者

白川静のような碩学を持つ日本こそが、東洋文化
の最終リレー走者としての使命を持つ。
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■1.思う、念(おも)う、懐(おも)う■

 漢字研究の第一人者、白川静の世界を覗いてみるには、次の
言葉が良いだろう。

 今、日本語がもう一度復活しなければならない時期なの
に、文字制限なんかがあって、それがうまくいかない。言
葉が少なすぎるんです。自分の気持ちを述べようとしても、
それができない。たとえば、「おもう」という言葉があり
ますが、そう読む漢字は今は「思」だけしかないんです。
この字の上半分は脳味噌の形。その下に心を書くから、千
々に思い乱れるという場合の「おもう」です。

『万葉集』では、「おもう」というときに「思」と「念」
とがあって、「念」のほうが多いんです。「念」の上の
「今」は、瓶に蓋をするかたちで、ギュッと心におもい詰
めて、深くおもい念ずるという意味の「おもう」です。

 それから「懐(壞)」という字の右半分は、上に目があっ
て、その下に涙を垂れている。下の衣は亡くなった人の襟
元です。その襟元に涙を垂らして、亡くなった人をおもう、
だから追憶とか、故人をおもう時に使う。「想」は遠く離
れた人の、姿をおもい浮かべるというときに使う字。そう
やって、みんな違うんです。それなのに、故人をおもうと
いうときでも「思」しかつかえない。「思想」とか「追懐」
とか「追憶」とかそんな言葉はあるのに、「想」「懐」
「憶」は「おもう」と読ませないのです。[1,p376]

 万葉時代の我が先人達は「子の行く末を念(おも)い、亡く
なった親を懐(おも)っいた」のに、現代日本人は「子の行く
末を思い、亡くなった親を思う」事しかできない。こう対比す
ると、文字が貧弱になれば、我々の心の働きも貧しくなってし
まう事が実感できよう。

 白川静の学問は、現代日本人の精神のあり方に重要な問題提
起を行っているのである。

■2.明治青年の気概■

 明治43(1910)年生まれの白川静は、今年95歳となった。
昭和51(1976)年、66歳で立命館大学文学部教授を定年退職
し、73歳で完全に学校の業務から解放されると、それまでの
漢字研究を集大成して、一般社会のために役立てようと、漢字
の成り立ちを説明した『字統』、日本での漢字の訓読みに関す
る『字訓』、そして漢和辞典の最高峰『字通』の3部作、合計
で200字詰め原稿用紙4万枚を、13年半かけて一人で執筆
した。毎日出版文化賞特別賞、勲二等瑞宝章、文化勲章などを
受賞し、まさに「現代日本の碩学」である。

 その学問は、どのような志から始まったのか。

 僕らが若いときには、「東洋」という言葉がだいへん魅
力的であった。西洋に対する東洋。これは古くは、幕末の
佐久間象山あたりが「東洋の道徳、西洋の芸術(技術)」
と言うとるんですがね。明治になって、岡倉天心の『東洋
の理想』とか『茶の本』ね。それからのちには久松真一の
『東洋的無』というのがありました。・・・だから東洋と
いうものを実体的に考えておったんですよ。ところが、い
よいよ学問をやりだした時代には、上海や満洲でごたごた
やり出して、「東洋」はずたずたになってしまい、挙げ句
の果てに国が滅びるほどの無残な負け方をした。そしてい
まはお互いにいがみ合いの状態ですわな。[1,p241]

 戦争に負けた時、ぶざまなことをして大変な負け方をし
たので、元通り仲良くするためには、ただ優しくするくら
いのことではいかんのです。日本が文化的にもしっかりし
ておって対等に付き合い、場合によっては尊敬の気持ちを
持たせるくらいにならないと、日本にはもう立つ瀬はない。
僕には、そういう気持ちも実はあった。[1,p316]

 まさに明治青年の気概である。

■3.漢字を通じて共有されていた「東洋の精神」■

 白川によれば、「東洋」という言葉は日本人の発明である。

 東洋ということばは、中国にはない。もし用いるとすれ
ば、それは日本人を賤しんでよぶときだけである。東洋と
いう語は、わが国で発明された。

 幕末に、西洋勢力が科学技術文明と武力をもって押し寄せて
きた時に、わが国で、政治的・文化的独立維持のために「東洋
道徳、西洋芸術」という考えが生まれたのである。しかし、白
川は「東洋」が単なる概念でなく、歴史的な実体を持つものと
して、実証しようとした。

 この東アジアにおいて最も特徴的なことは、漢字を共有
し、漢字文化を共有しながら、それぞれの民族が、また独
自の文化を発展させてきたという事実である。そこに共通
の価値観というべきものがあった。その価値観が東洋の精
神を生む母胎であった。[1,p9]

 かつて東洋は、一つの理念に生きた。東洋的というのは、
力よりも徳を、外よりも内を、争うことよりも和を、自然
を外的な物質と見ず、人と同じ次元の生命体として見る精
神である。思考の方向が、他の文化圏とは根本的に異なっ
ている。そしてそういう生きかたは、殊に漢字を共有する
ということによって確かめられた。漢字にはいわば、この
文化圏の最も重大な紐帯をなしている。[2,p2]

■4.「眞」という字は「行き倒れ」をあらわす■

「東洋の精神」の一例として、白川が好きだという「保眞(眞
を保つ)」という言葉をみてみよう。

 この「保眞」の「眞」という字は、本来行き倒れという
意味を持っています。上の「ヒ」みたいな字が倒れている
人の形で、その下は目がぎょろっとして頭の毛が乱れてお
る様子。人間の死の中で、一番恐ろしい霊力を持っておる
のはこの行き倒れなんです。だからいい加減には扱えんの
です。『万葉集』では柿本人麻呂が行き倒れを弔う歌をい
くつかつくっておる。・・・

 その行き倒れがなぜ永遠なるもの、真実なるものになる
かというと、それの持っている呪力というものが何世代の
のちまでその力を発揮するからです。これは永遠なる力、
永遠の存在であるというので、「眞」になるわけですな。
・・・

 つまり、「保眞」というのは、自然の力と合致すること
なんですね。眞というのは自然の生命力が永遠に貫いてお
ることです。人界では行き倒れのような形であらわれるけ
れども、永遠の生命の一つの姿として、そういうものがあ
らわれてくる。そういう力は自然とともに悠久に働いてお
るという考え方ですね。[2,p229]

 自然の力と合致し、自然の生命力とともに生きては、死んで
いく。これが、日本にも中国にも見られる「東洋の精神」の一
端であり、これを回復しようと、白川は漢字研究に志したので
ある。

■5.失われいく共通の漢字文化■

 その東洋は今や、政治的にも「いがみ合い」の状態であるが、
共通の「東洋の精神」もずたずたになっている。

 たとえば、韓国では漢字教育をやめてハングル表記になって
しまった。挨拶の「アンニョン」が「安寧」と書かれていれば、
その語感は日本人にも中国人にも直接的に伝わったはずなのに。

 ベトナムでは、フランスの植民地時代にローマ字表記となっ
たが、医者を意味する「ポシ」が「博士」の事である事をしれ
ば、すぐに理解できる。

 中国では音を中心に大胆な略字(簡体字)に改造してしまっ
た。「達」は「しんにょう」に「大」と書き換えたが、これは
現代中国語では「達」と「大」の音が同じだからである。これ
では日本人や朝鮮人には、その意味は想像もできない。

 そもそも「達」の字は「羊」を含んでおり、羊の子はするり
と生まれてくる事から、「すっと通り抜ける、何の障害もなく、
勢いよく達する」という意味を持っている。たとえば「達筆」
とはすらすらと美しい文字を書くこと、「達人」とは一般人に
は難しいことをすらすらとこなしてしまう人、というようにい
ずれも「すらすら」という語感が籠もっている。それが「大」
となっては、中国人自身にも、そんな語感は分からなくなって
しまう。

 こうして、各国が漢字を廃止したり、勝手に作り替えたりし
て、東洋の共通基盤だった漢字文化はばらばらになり、また若
い世代は漢字で書かれた古典を読めなくなってきている。

■6.世界をリードする白川の漢字研究■

 こういう状況の中で、なんとか「東洋」の復活を目指して、
白川は漢字研究の分野で孤高の歩みを続けてきた。

 中国では西周時代 (紀元前11世紀以降)の古代文字「金文」
に関して優れた研究をなしてきた陳夢家氏が文革で殺されてし
まった。その後に取り組んだ白川の4千ページもの研究書を超
える研究は今後も出ないであろう、と言われている。

 台湾では金文に関する14巻3800ページの研究叢書が刊
行されたが、そのうちの半分は白川の論文で占められている。
白川の著作の多くが訳され、また白川が国際会議で発表をする
と、特に若い研究者の間では共感する人が多いという。

 一方では、白川が台湾の雑誌に論文を発表する時に古文で書
くと、先生方は「外国人でもこういう古文を書くのに、君らは
なんだ」と学生を叱ったりした事もあったという。

 またオーストラリアやニュージーランドあたりからやってき
て、「あなたの説はよく分かる。あなたの解釈を使って学位論
文を書きたいがいいか」などと言う人も出てくるようになった。

 白川の学問は、漢字研究の分野ですでに世界をリードしてい
る。「尊敬の気持ちを持たせるくらいにならないと」という志
は、達成されているのである。

■7.日本で新しい生命を得た漢字■

 漢字というと、どうしても中国から借りてきたものという意
識があるが、日本人は借りてきた漢字をそのまま使ったのでは
ない。

 たとえば、漢字は表意文字であるから、3千数百年の間、中
国人は同じ文字をその時々の発音で読んでいた。だから「博士」
という字を、ベトナム人が「ポシ」と読もうが、日本人が「ハ
クシ」と読もうが、それは勝手なのである。

 この特徴を活用して、自国語の「おもう」に「思」の字をあ
てて「思う」と表記するという「訓読」を発明したのは、日本
人の独創であった。さらに、音を正確に表現できないという漢
字の弱点を、ひらがなやカタカナという表音文字で補完すると
いう離れ業を、我々の先人は考え出した。[a]

 それ以降、訓読法で得た知識が、和漢混淆の文章の語彙、
語法にそのまま使われるようになり、訓読によって吸収し
た中国語の表現のなかで、美しい、深いものを巧みに日本
語にとりいれている。

 このような、国語で果たすことのできない新しい造語法
として漢字を使いこなすという伝統は、江戸の末まで続い
たわけですが、それが明治期において、新しいヨーロッパ
の学問が入ってきてから、日本人は思いのままに、漢字に
よる造語がおこなわれて、このとき以降、日本人は完全に
漢字を日本語化したといえます。音と訓の両方を完全に使
いこなして、新しい語を作るようになったのも明治以降で
す。

 そして大正期に入ると、梁啓超など日本に亡命してきた
中国人学者の手で、それらの新しくつくられた言葉が中国
に逆輸入されるようになる。[1,p168]

 中国の外来語辞典を見ると「日本語」とされているものが非
常に多い。政治分野だけでも、日本語からの輸入がなければ、
現代中国では「国家」も「国民」もなく、「領土」も侵略でき
ず、「覇権」も求められず、「表決」もできなかった。中国人
が近代国際政治や民主政治を学んだのは、明治の日本人が創造
した訳語を通じてなのである。[a]

 漢字は、中国で生まれたが、日本で新しい生命を得て、新た
な成長を始めたと言える。

■8.東洋文化の最終ランナー■

 西洋文明もギリシアから始まったものが、ローマに受け継が
れ、さらにフランスやイギリスなどで発展していったものであ
る。言わば、聖火をランナーが次々と交替しながら、運んでい
るような趣がある。

 中国でも、3世紀の三国時代あたりまでは、いろいろな人種
が混じり合い、戦いながら、文化を高めていったが、それ以降
は停滞に陥る。『論語』『史記』『春秋左氏伝』『三国志』な
ど漢籍の代表的な古典はほぼ三国時代までに完成し、その後は
停滞に陥る。

 僕は日本人がその後を受け継いでよく発展させたと思い
ますね。中国的な文化を一番深く理解したのは、僕は日本
人だと思います。だから、アジア的な建築というようなも
のでも、日本においてそれが完成される。それから仏教な
んかでも、日本において非常に落ちついた個性的なものに
なる。この東洋的と言われるような精神、美、あるいは思
想というふうなもの、そういうようなものは、みな日本に
おいてその完成態をつくり上げてきているわけです。
[2,p211]

 白川の漢字研究は漢字文化の「完成態」を追求する最先端の
努力と位置づけられるだろう。

 我が国では、さらに石井式のように幼児への漢字教育を通じ
て知能や情緒を伸ばす教育方法が開発され、成果を上げている。
[b]

 中国大陸では簡体字の採用と、唯物論・拝金主義の横行によっ
て漢字文化は衰退の極みにある。また韓国・北朝鮮は漢字使用
廃止によって、すでに脱落した。そのような中で、白川静のよ
うな碩学を持つ日本こそが、東洋文化の最終リレー走者として
の使命を持つと言えよう。
(文責:伊勢雅臣)


■■ Japan On the Globe(320)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

国柄探訪: 子どもを伸ばす漢字教育

 幼稚園児たちは喜んで漢字を覚え、知能指数も高まり、
情操も豊かになっていった。
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■1.2歳の幼児が漢字を読んだ!■

 きっかけは偶然だった。小学校教師の石井勲氏が炬燵(こた
つ)に入って「国語教育論」という本を読んでいた。そこに2
歳の長男がよちよち歩いてきて、石井氏の膝の上に上がり込ん
できたので、氏は炬燵の上に本を伏せて置いた。

 その時、この2歳の幼児が「国語教育論」の「教」という漢
字を指して「きょう」と言ったのである。びっくりして、どう
してこんな難しい字が読めたんだろう、と考えていると、今度
は隣の「育」の漢字を指して「いく」と言った。

 石井氏が驚いて、奥さんに「この字を教えたのか?」と尋ね
ると、教えた覚えはないという。教えてもいないものが読める
わけはない、と思っていると、奥さんが「アッ! そう言えば
一度だけ読んでやったことがある」と思い出した。奥さんは音
楽の教師をしており、「教育音楽」という雑誌を定期購読して
いた。ある時、息子が雑誌のタイトルを指で押さえて、「これ
なあに?」と聞くので、一度だけ読んでやったような記憶があ
る、というのである。

 そんなこともあるのか、と半信半疑ながら、ひょっとしたら、
幼児にとって漢字はやさしいのかもしれない、と石井氏は思い
ついた。ひらがなは易しく漢字は難しい、幼児に教えるもので
はない、と思いこんでいたが、実はそうではないのかもしれな
い。これが石井式漢字教育の始まりだった。

■2.漢字学習で幼稚園児の知能が伸びた!■

 それから石井氏は昭和28年から15年にもわたって、小学
校で漢字教育を実践してみた。当初は学年が上がるにつれて、
子どもの学習能力が高まると信じ込んでいたが、実際に漢字を
教えてみると、学年が下がるほど漢字を覚える能力が高いこと
が分かった。

 そこで今度は1年生に教える漢字を増やしてみようと思った。
当時の1年生の漢字の習得目標は30字ほどだったが、これを
300字ほどに増やしてみると、子供たちは喜んでいくらでも
吸収してしまう。それが500字になり、とうとう700字と、
小学校6年間で覚える漢字の8割かたを覚えてしまった。

 ひっとしたら就学前の幼児は、もっと漢字を覚える力がある
のかもしれない。そう思って昭和43年からは3年間かけて、
幼稚園児に漢字を教えてみた。すると幼児の漢字学習能力はさ
らに高いということが分かってきた。同時に漢字学習を始めて
からは幼児の知能指数が100から110になり、120にな
り、ついには130までになった。漢字には幼児の能力や知能
を大きく伸ばす秘密の力があるのではないか、と石井氏は考え
るようになった。

■3.複雑でも覚えやすい漢字■

 どんな子どもでも3歳ぐらいで急速に母国語を身につけ、幼
稚園では先生の話を理解し、自分の考えを伝えることができる。
この時期に言葉と同時に漢字を学べば、海綿が水を吸収するよ
うに漢字を習得していく、というのが石井氏の発見だった。漢
字は難しいから上級生にならなければ覚えられない、というの
は、何の根拠もない迷信だったわけである。

 同時に簡単なものほど覚えやすい、というのも、誤った思い
こみであることが判明した。複雑でも覚える手がかりがある方
が覚えやすい。たとえば「耳」は実際の耳の形を表したもので、
そうと知れば、簡単に覚えられる。「みみ」とひらがなで書く
と画数は少ないが、何のてがかりもないのでかえって覚えにく
い。

 石井氏はカルタ大の漢字カードで教える方法を考案した。
「机」「椅子」「冷蔵庫」「花瓶」などと漢字でカードに書い
て、実物に貼っておく。すると幼児は必ず「これ、なあに?」
と聞いてくる。そこではじめて読み方を教える。ポイントは、
遊び感覚で幼児の興味を引き出す形で行うこと、そして読み方
のみを教え、書かせないことである。漢字をまず意味と音を持
つ記号として一緒に覚えさせるのである。

■4.抽象化・概念化する能力を伸ばす■

 動物や自然など、漢字カードを貼れないものは、絵本を使う。
幼児絵本のかな書きの上に、漢字を書いた紙を貼ってしまう。
そして「鳩」「鴉」「鶏」など、なるべく具体的なものから教
えていく。すると、これらの字には「鳥」という共通部分があ
ることに気づく。幼児は「羽があって、嘴(くちばし)があっ
て、足が2本ある」のが、「鳥」なのだな、と理解する。ここ
で始めて「鳥」という「概念」が理解できる。

 これが分かると「鶯」や「鷲」など、知らない漢字を見ても、
「鳥」の仲間だな、と推理できるようになる。こうして物事を
概念化・抽象化する能力が養われる。

 またたとえば「右」、「左」など、抽象的な漢字は「ナ」が
「手」、「口」は「くち」、「工」は「物差し」と教えてやれ
ば、食べ物を口に入れる方の手が「右」、物差しを持つ方の手
が「左」とすぐ覚えられる。そう言えば、筆者は小学校低学年
の時、右と左の字がそっくりなので、どっちがどっちだか、な
かなか覚えられなかった記憶があるが、こう教わっていたら瞬
時に習得できていただろう。

■5.推理力と主体性を伸ばす■

 また一方的に教え込むのではなく、遊び感覚で漢字の意味を
類推させると良い。石井式を実践している幼稚園でこんな事が
あった。先生が黒板に「悪魔」と書いて、「誰かこれ読めるか
な」と聞いた。当然、誰も読めないので、「じゃあ、教えてあ
げようね」と言ったら、子供たちは「先生、待って。自分たち
で考えるから」。

 子供たちは相談を始めて、「魔」の字の下の方には「鬼」が
あるから、これは鬼の仲間だ、、、こうしてだんだん詰めてい
って、とうとうこれは「あくま」じゃないか、と当ててしまっ
た。

 この逸話から窺われるのは、第一に、幼児にも立派な推理力
がある、という事だ。こういう形で漢字の読みや意味を推理さ
せるゲームで、子どもの論理的な思考能力はどんどん伸びてい
く。第二は、子どもには自分で考えたい、解決したい、という
気持ちがあるということである。そういう気持ちを引き出すこ
とで、子どもの主体的な学習意欲が高まる。そして自ら考えて
理解できたことこそ、本当に自分自身のものになるのである。

■6.漢字から広がる世界■

 石井式の漢字教育と比較してみると、従来のひらがなから教
えていく方法がいかに非合理的か、よく見えてくる。たとえば、
「しょうがっこう」などという表記は世の中に存在しない。校
門には「○○小学校」などと漢字で書かれているのである。
「小学校」という漢字熟語をそのまま覚えてしまえば、近くの
「中学校」の側を通っても、おなじ「学校」の仲間であること
がすぐに分かる。「小」と「中」の区別が分かれば、自分たち
よりやや大きいお兄さん、お姉さんたちが行く学校だな、と分
かる。

 こうして子どもは、漢字をたくさん覚えることで、実際の社
会の中で自分たちにも理解できる部分がどんどん広がっていく
ことを実感するだろう。石井氏の2歳の長男も、お父さんが読
んでいる本の2つの文字だけでも自分が読みとれたのがとても
嬉しかったはずだ。だから、僕も読めるよ、とお父さんに読ん
であげたのである。

 このように漢字を学ぶことで外の世界に関する知識と興味と
が増していく。本を読んだり、辞書を引けるようになれば、そ
の世界はさらに大きく広がっていく。幼児の時から漢字を学ぶ
ことで、抽象化・概念化する能力、推理力、主体性、読書力が
一気に伸びていく。幼児の知能指数が漢字学習で100から
130にも伸びたというのも当然であろう。

 漢字学習を通じて、多くの言葉を知り、自己表現がスムーズ
に出来るようになると、情緒が安定し、感性や情操も豊かに育
っていく。石井式を取り入れた幼稚園では、「漢字教育を始め
て一ヶ月くらいしたら、園児たちの噛みつき癖がなくなりまし
た。」という報告がしばしばもたらされるという。子供たちの
うちに湧き上がった思いが表現できないと、フラストレーショ
ンが溜まって噛みつきという行為に出るが、それを言葉で表現
できると、心が安定し、落ち着いてくるようだ。最近の「学級
崩壊」、「切れやすさ」というのも、子どもの国語力が落ちて、
自己表現ができなくなっている事が一因かもしれない。

■7.自閉症児が変わった■

 NTTと電気通信大学の共同研究では、「かな」を読むとき
には我々は左脳しか使わないが、漢字を読むときには左右の両
方を使っているということを発見した。左脳は言語脳と呼ばれ、
人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。右脳
は音楽脳とも呼ばれ、パターン認識が得意である[a]。漢字は
複雑な形状をしているので、右脳がパターンとして認識し、そ
れを左脳が意味として解釈するらしい。

 石井氏は自閉症や知的障害を持った子供にも漢字教育を施し
て、成果をあげている。これらの子どもは言語脳である左脳の
働きが弱っているため、言葉が遅れがちであるが、漢字は右脳
も使うので、受け入れられやすいのである。

 石井氏が校長をしていた小学校にはS君という自閉症児がい
た。授業中、机に座っていることができずに、廊下に出てはぐ
るぐると左回りを続けているという子どもだった。校長として
S君を引き取った石井氏は、彼が電車に関心を持っているのを
見つけた。絵を描かせると、黄色い電車と新幹線を描く。「黄
色いのは総武線で、東京に行くんでしょ。」と行って電車のそ
ばに「東京」と書いてやった。新幹線にほうにも「新幹線」と
書いてやると、S君は本当に嬉しそうに笑った。

 翌日、また絵を描かせると、今度は電車の絵に「東京」「新
幹線」という文字に似た模様を書き付けていた。これを生かさ
ない手はない、と思った石井氏は、S君のお母さんを呼んで夏
休みの間、毎日5分でいいから「漢字カード」で遊んでやって
ください、と頼んだ。

 休みが終わると、お母さんが200枚もの漢字カードを持っ
て、「あまりにS君の反応が良いので、どんどんやっていった
ら、こんなにできた」という。

 夏休み明けのS君にクラスの友だちは驚いた。「S君が授業
中ずっと椅子に座れるようになった」「体育の時間に皆と一緒
に駆け足をやった」そしてついに「S君が教科書を開いた。」

 S君は家でお父さんと一緒にお風呂に入っている時、「学校
で勉強、頑張るからね」と言った。父親は思わずS君を抱きし
めて「頑張れよ」と励ましたそうである。[2,p166]

■8.漢字かな交じり文の効率性■

 漢字が優れた表記法であることは、いろいろな科学的実験で
検証されている。日本道路公団が、かつてどういう地名の標識
を使ったら、ドライバーが早く正確に認識できるか、という実
験を行った。「TOKYO」「とうきょう」「東京」の3種類
の標識を作って、読み取るのにどれだけの時間がかかるかを測
定したところ、「TOKYO」は1.5秒だったのに対し、
「とうきょう」は約半分の0.7秒、そして「東京」はさらに
その十分の一以下の0.06秒だった。

 考えてみれば当然だ。ローマ字やひらがなは表音文字である。
読んだ文字を音に変換し、さらに音から意味に変換する作業を
脳の中でしなければならない。それに対し漢字は表意文字でそ
れ自体で意味を持つから、変換作業が少ないのである。

 日本人はこの優れた、しかしまったく言語系統の異なる漢字
を導入して、さらにそこから、ひらがな、カタカナという表意
文字を発明した。その結果、数千の表意文字と2種類の表音文
字を使うという、世界でも最も複雑な表記システムを発明した。
たとえば、以下の3つの文章を比べてみよう。

朝聞道夕死可矣
あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり
朝に道を聞かば夕に死すとも可なり

 漢字だけ、あるいは、ひらがなだけでは、いかにも平板で読
みにくいが、漢字かな交じり文では名詞や動詞など重要な部分
が漢字でくっきりと浮かび上がるので、文章の骨格が一目で分
かる。漢字かな交じり文は書くのは大変だが、読むにはまこと
に効率的なシステムである。

 情報化時代になって、書く方の苦労は、かな漢字変換などの
技術的発達により、急速に軽減されつつあるが、読む方の効率
化はそれほど進まないし、また情報の洪水で読み手の負担はま
すます増大しつつある。読む方では最高の効率を持つ漢字かな
交じり文は情報化時代に適した表記システムであると言える。

■9.漢字教育で逞しい子どもを育てよう■

 英国ケンブリッジ大学のリチャードソン博士が中心となって、
日米英仏独の5カ国の学者が協力して、一つの共通知能テスト
を作り上げた。そのテストで5カ国の子ども知能を測定したと
ころ、日本以外の4カ国の子どもは平均知能指数が100だっ
たのに、日本の子どもは111だった。知能指数で11も差が
出るのは大変なことだというので、イギリスの科学専門誌「ネ
イチャー」に発表された。

 博士らがどうして日本の子どもは知能がずば抜けて高いのか、
と考えた所、この5カ国のうち、日本だけが使っている漢字に
行き着いたのである。この仮説は、石井式で知能指数が130
にも伸びる、という結果と符合している。

 戦後、占領軍の圧力や盲目的な欧米崇拝から漢字をやめてカ
タナカ書きやローマ字書きにしよう、あるいはせめて漢字の数
を減らそうという「国語改革」が唱えられ、一部推進された。
こうした科学的根拠のない「迷信」は事実に基づいた石井式漢
字学習によって一掃されつつある。

 国語力こそ子どもの心を大きく伸ばす基盤である。国語力の
土壌の上に、思考力、表現力、知的興味、主体性などが花開い
ていく。そして国語を急速に習得する幼児期に、たくさんの漢
字を覚えることで、子どもの国語力は豊かに造成されるのであ
る。

 石井式漢字学習によって、全国津々浦々の子供たちが楽しく
漢字を学びつつ、明日を担う日本人としての逞しい知力と精神
を育んでいくことを期待したい。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(240) 日本語が作る脳
虫の音や雨音などを日本人は左脳で受けとめ、西洋人は右脳で
聞く!?
b. JOG(221) 漢字と格闘した古代日本人
外来語を自在に取り込める開かれた国際派言語・日本語は漢字
との国際的格闘を通じて作られた。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 石井勲、「0歳児から始める脳内開発」★★★、蔵書房、H8
2. 石井勲、「石井式で漢字力・国語力が驚くほど伸びる」★★、
コスモトゥーワン、H13

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「子どもを伸ばす漢字教育」について

賢一さんより
 私は朝早く目が覚めるとときどきNHKラジオ深夜便「こころ
の時代」を聴きます。今回紹介された「子どもを伸ばす漢字教
育」の石井勲博士のアンコール放送が一ヶ月前ほどの10月29日
30日にありました。大変感銘を受けました。8月に放送があっ
たのだそうですが、大変な反響があったのでアンコール放送と
いうことでした。

 明治以前に我が国では幼児時代から漢文の素読が行われてい
たこと、そして、武士から農民に至るまで、素晴らしい知識の
涵養が培われていたことは、明治維新の志士たちの言動の背景
にあることがよくわかりますが、その根本に幼児時代から漢字
に親しむという教育の場があったことが石井博士のお話から納
得することができました。大人にとって難しい漢字も幼児にと
っては難しくないというお話に東洋の知恵の奥深さを再認識し
ました。

 漢字表現といえば、小説家宮城谷昌光の多数の小説に珠玉の
ごとく書き込まれていますが、彼は史記を何回も何回も自ら複
写して漢字の豊かな表現を身につけたということでした。私自
身も漢字の持つ素晴らしさに親しんでいきたいと思います。

吉国生さんより
 私は樺太生まれ育ちです(昭和一桁生)。百人一首カルタの
取り札は木の札に、草書で筆書きのものでした。下の句を読み
上げて下の句の札を取るのです。小さい子は自分の札一枚を預
けられて加わるのです。取り札に書かれた文字は文字と言うよ
りは模様みたいにして覚えたのですが、そのうち慣れてくれば
殆どの札が読めるようになるのです。小学生高学年になれば全
部覚えていました。新聞にもルビの振ってあるのもあり、結構
難しい漢字も読めたのです。

 今の子供達は汚染を”お染”と言う具合で”オセン”だか”
オソメ”だかわけわからなくしている。日本が戦争に負けたの
は難しい漢字を覚えさせられたために科学の学習がおろそかに
なったせいといわれたものですが、これは全くナンセンスな言
いがかりです。今、小学校から英語を教えようとしていますが、
とんでもないことです。日本人は日本語を話すから日本人なの
であって日本語を満足に話せないことになったら日本人ではな
くなるのです。一番大切なことは、小さい時からキッチリした
正しい日本語を叩きこむことです。その上で他国の言葉を勉強
すればよい。

 この間電車の中で耳にした学生の会話「きのうセンコウのや
ろうアテヤガッテヨー、アッタマへキチマッテヨー・・・」ふ
と振り返ると女子中学生達だった。おそらく親の影響も無視で
きないと思う。日本の将来の為にも正しい言葉が使えるように
社会全体を造り換えないと亡国の道に向かうのではなかろうか。

■ 編集長・伊勢雅臣より

 国語は文化の精髄ですね。漢字かな交じり文という効率的か
つ知能まで伸ばしてくれる国語を作ってくれた祖先に感謝しま
す。

■「子どもを伸ばす漢字教育」について
おくでさんより
 我が家には4歳と3歳の息子がいるのですが、No.320の漢字教
育についての話を読んで、我が家でもちょっと試してみるかと
いう気になりました。英才教育がしたいわけでなく、面白そう
だからという好奇心だったのですが、小学1年生で習う漢字か
ら半分ほど覚えやすいものを抜き出し、漢字カードを40枚ほど
作ってみました。

 驚くことにたった一日で、二人とも半分ほど覚えてしまいま
した。ちなみに二人はすでにひらがなをたどたどしいながらも
50音全部覚えたばかりだったのですが、数ヶ月かかりました。
やはり意味と形が結びついている漢字は覚えやすいようです。
しかも目を離したら二人で交代で問題を出し合っていて、とて
も楽しそうでした。私が出すヒント(「男」は田んぼで働く人
だよ、など)まで真似しています。

 結局、私が作った35枚の漢字カードを1週間で長男は全部、
次男もほとんど覚えてしまい、本の中で読める漢字を見つけて
大喜びしています。今新たなカードを作成中です。

 幼児に漢字を教える、と言うのは本当に盲点でした。ご紹介
くださりありがとうございました。

■ 編集長・伊勢雅臣より

 日本全国の子供たちが、おくでさんのお子さんのように育っ
て欲しいものですね。

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